私の「心配のシーズン」

ライオンズさんのエントリーを読んで、自分自身、8年前の今頃、ライオンズさんと同じ「心配のシーズン」をすごしていたことを思い出した。学部生のとき絵に描いたような馬鹿学生だったので、GPAなどはお話しにならないほど低く、また、GREのスコアにしても恥ずかしいようなものだったので、私が、優秀な学生であるライオンズさんと同じように「心配のシーズン」を過ごしたなどというのはちょっとおこがましい気もするが、私の話をしてみたいと思う。
馬鹿学生だった私を拾ってくれるところがあるならば、どこへでも行くという気持ちだったので、願書はずいぶん出した。推薦状をお願いした先生方が、こんなに出して、後で断るのに大変なんじゃないのかと心配して下さるほど出した。断ることなど問題ではない。受け入れてもらえるか、そちらの方こそが大きな問題だった。ESLの先生から、大学院の先生を何度か訪問して、あらかじめこちらのことを知っておいていただくようにするといいとアドバイスを受け、これを実践した。成績の悪い分は営業力でカバーするしかないだろう。第一志望のところの先生には何度か会っていただいた。私は営業の仕事をしていたので、先生にお会いしてお話しするのはあまり苦にははならなかったし、会うたびにけっこう話も弾んでいたので、内心、「このまま、きちんとテストのスコアさえ上げておけば大丈夫だろう」と思っていた。
2月になり、願書を出しておいた大学院から合否の連絡通知が来はじめた。一通目、不合格。二通目、これも不合格。三通目、これも、やっぱり、不合格。通常不合格通知は薄い紙一枚だ。「本当に残念ながら…」などという嘘くさい言葉が書かれている。本当に残念だと思うなら、合格にしてくれと思ったが、まあ、まだまだあるさ、と思い直し次を待った。しかし、四通目も五通目も「残念ながら」であった。「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」という気持ちで願書を出し続けた私だが、こうなってくると、ひょっとして全部だめだったらという不安に襲われるようになった。サラリーマンの仕事をきれいさっぱり辞めてきているのだ。もう後戻りなど出来るわけがない。全部だめだったらどうすればいいのか。次第に私は何も手に付かなくなり、思いあまって、第一志望のオフィスに電話をかけてみた。聞き覚えのある声が出た。何度か訪問した際に丁寧に対応してくれた秘書だった。彼女の優しい顔が目に浮かびちょっとほっとして、「合否の結果はまだ決まっていないんですよね?」と尋ねると「今日、手紙を発送したけど、お名前は?」と聞かれた。「有留です」と告げた。彼女は電話の向こうで合格者のリストを見ているようだった。緊張で受話器を持つ手が震えた。手のひらにじっとり汗をかいているのが分かった。しばらくして、電話の向こう側から聞こえてきたのは…「お名前は合格者のリストにはありません」という声だった…。「それは決定ですか?」とやっとの思い出聞き返すと、「すみません。これ以上のことは私にはお答えすることが出来ませんので、先生と代わりましょうか」と言われ、「いえ、けっこうです。ありがとうございました。」と受話器を置いた。私はそのまま、どさっと椅子に座り込んで、長いこと動けなかった。あそこがだめとなると、もう、合格通知をくれる大学院などない…。これからどうすればいいのだろう。目の前が真っ暗になった。
数日間は本当に落ち込んだ。でも、日本語を教えることに決め、サラリーマンを辞めた以上、いまさら、すごすご日本へ帰るわけには行かない。「なんとしても日本語を教えてやる。学部の成績が悪すぎると言うのであれば、もう一度、アメリカの大学に再入学してすごいGPAを取ってやろうじゃねえか」私はそう開き直ることにした。しかし、簡単にはあきらめないぞと開き直ったとはいえ、不安がなくなるわけではなく、眠れない夜が続いた。3月は本当に苦しかった。それこそ「心配のシーズン」だったと思う。月がかわり4月になった。願書を出した大学院から、また、薄っぺらい手紙が届いた。これだけ薄ければ、中身など見なくても分かる。このまま捨ててしまおうかとも思ったが、封を開けて中を見てみることにした。「どれだけ残念に思ってくれているか見てやろうじゃねえか」という気持ちだったと思う。何度か読んでみたが内容が頭に入ってこない。いつもの「残念ながら」が出てこないのだ。二度三度と読むうちにTAの話やその給料や保険のことが書いてあるのが分かった。「あれ?」と思った。そう、それは私が待ち焦がれていた、いや、ほとんどあきらめかけていた合格通知だったのだ。本当にうれしかった。というより、不安から開放されて、ほっとしたという気持ちの方が強かった。これで、やっと安心して眠れると思った。(まあ、その晩は興奮しすぎて眠れなかったのだが…。)面白いもので、その後、立て続けに3通合格通知が届いた。私は最初に合格通知をくれた大学院へ進学し、そこですばらしい指導教官に出会い、その方の推薦をいただいてワシントン大学に職を得て今に至っている。最後までわからないものだな。これが、あの「心配のシーズン」を振り返っての私の率直な感想だ。だから、みんな、頑張れ!

5 Comments:
この話しをありがとうございました。
今日ちょっとよくない日をすごしたので暗い気持ちになっていましたが、有留先生のエントリーを読んで、少しは「大丈夫。これからもうちょっと頑張ろう」という気持ちになることができました。
そうだよ!そうだよ!頑張って!
いい話ですね。本当、その「残念ながら、、、」という言葉は本当に嘘くさいですね。嫌です。でも、結局いい大学に行けて、良かったですよ。
有留先生、この話ありがとうございました。先生のエントリーをすぐ読みましたけど、大学院から連絡があるまでコメントをしたくなかったのです。あいにくまだ残りの二つの大学院からなにも聞いていませんが、ちょっとコメントをしなければならなくなりました。とりあえず先生の心配のシーズンをかんがえながら待っています。
本当に面白い話です。その合格の内容がある小さくて薄い手紙というのは非常に嫌なものだと思います。とても紛らわしいものだからです。
私の大学院の申し込みと就職して見ることは自分の「心配のシーズン」になるでしょう。でも、頑張らなければならないので、頑張ってみます。
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