空港
来週はいよいよ感謝祭のお休みだね。みんなはどうするのかな。やっぱり、しばらくぶりに家に戻るんだろうか。感謝祭は一年で最も人が移動する時だといわれているから、きっと今年も空港はものすごいことになるんだろうな。でも、どんなに空港が混雑しようが、飛行機が遅れようが、待っていてくれる人がいるところに帰れるというのはありがたいことだと思う。「早く出てこないかなあ…」「あの子はどんな格好で帰ってくるのかしら…」と出口のところで待っていてくれる人たちのことを思えば、多少のことはなんでもないよな。
5年前のあの9月11日までは、国内線であれば、誰でもゲートのところまで行くことが出来たよね。荷物を預けないのであれば、ゲートのところで搭乗手続きが出来たし、見送りや出迎えの人たちもゲートのところまで来ることが出来た。だからゲートの周りには今よりもっと大勢の人がいて、様々な人々の様々なドラマがあった。彼の到着を待ちわびていた彼女が、ゲートを出てきた彼に飛びついて泣き出してしまったのを見たことがある。何度も何度も振り返っては手を振って、いったんゲートの向こうに消えた彼女が泣きながらまた戻ってきて、「やっぱり行かない!」と言ったのも見た。ゲートから出てきたご主人(?)を目顔だけで受け入れ、黙って手をつないで歩き出した年配の奥さん(?)もいた。出迎えてくれたおじいさんに「大きくなったなあ」などと言われて、照れてしまっている子供もいたし、孫たち家族、それこそ10人ぐらいに取り囲まれて、「おばあさん、お誕生日おめでとう!」と言ってもらっていた車椅子のおばあさんもいた。でも、人々のそんな出会いとか別れとかを横目で捉えながら、私はいつも一人だった。ほとんどいつも一人で出かけ、一人でホテルに泊まり、客先でいろいろやって、そしてまた一人で寒々とした部屋に戻るだけだった。人々がゲートの周りで見せる出会いや別れは、自分には見送ってくれる人もいなければ、出迎えてくれる人もいないということを、この国に知っている人すら数えるほどしかいないということを、あらためて私に教えるのだった。はじめのうちこそ、「こんなのが海外での一人暮らしの醍醐味だぜ」と強がっていた私だったが、息子を見送ったあと、しょんぼりして引き上げるどこかの両親の背中をながめながら、「見送れるやつがいるだけいいよ、あんたたちは」などと思わずつぶやいてしまうようになってしまった。
この時期、人、人、人でごったがえした空港の様子がテレビに映ったりすると、ああ、この中にもあのころの自分のような男もいるのだろうなあと思う。浮かれた人々の中で、さも忙しそうにコンピュータを開けてみたり、用もない書類を引き出してみたり、大切な仕事のことを考えているふりをしてみたりしながら、一人を噛みしめている男が。

3 Comments:
空港の規則は厳しくなりましたねぇ。なんとなく大学の一年生のときからよく空港に行く状態になっているので、私も有留先生の書いたことを気づいてきました。
ちょっと寂しい話ですね。でも、それは本当に「海外での一人暮らしの醍醐味だ」かもしれません。私もいつも一人で空港に行って、長い時間の飛行機に乗って、遠い所に行きます/帰ります。最初にどこに行くのも面白いでしたから、興奮しました。しかし、年を取るに従って、だんだん一人の寂しさが感じます。
空港といえば、ぼくはたいてい自由や冒険の感じがします。世界の人々がここに集まって、まわりがにぎやかで楽しそうにみえて、自然に自分も楽しくなる場合もたまにあります。けど、そのような寂しさも分かると思います。
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