私の日本語の考古学

日本語の五年生ですが、自分の日本語の勉強の歴史を考えれば、1895年に戻らなければいけません。
1895年?百年も前とも私の関係がありますか?
簡単に言えば、1895年に第一次の日中戦争の結果で、日本は勝ちましたから、中国政府が台湾という所を日本に賠償しました。その頃から、台湾は日本の植民地になって、国語といえば、日本語を指しました。家の祖父と祖母は数年間の日本語の教育を受けて、簡単な文章や会話だけできました。
1945年に第二次日中戦争には逆に日本が負けました。五十年前の同じなパタンで台湾を中国政府をあげました。台湾人の国籍はまだ変わってしまいました。国語も中国語になりました。そればかりでなく、日本の言葉は厳しく禁止されました。日本と日本文化を憎む政策が作りました。
私は日本語と中国語の矛盾の中に成長しました。実は、大学に日本語を勉強し始めた前に日本語を全然分かりませんでしたが、出生からいつも祖父と祖母と一緒に住んでいましたから、祖父母が話した日本語は老人の言葉として面白いものだと思いました。一方、学校の教育で日本政府はとても悪くて、日本文化も悪いと教えられましたから、ちょっと混乱していました。
日本は国の敵だと学校で教えられましたが、家族は私のニックネームを台湾語の発音でもなくて、中国語でもなくて、日本語で呼びました。家族全員は私と犬の「メリー」と「クロ」だけ日本語の名前を呼びました。(なぜ私と犬だけ、、、)しかし、子供の時はそのような名前は日本語だということをわかりませんでした。
大学に入った時は台湾の政治と政策はだんだん変わりました。日本はもう国の敵ではなくなりました。そして、台湾の植民地時代の歴史と文学を勉強することができました。その前に、植民地時代の文学は半分ぐらい日本語で書きましたから、研究することはだめだった。私は植民地時代の文学を勉強したいですから、日本語を勉強しはじめました。
日本語を勉強して、自分のニックネームと家の犬たちの名前は日本語だと分かりました。そして、子供の時祖母が教えた歌は「桃太郎さん」や「春が来た」などの日本の歌ということも分かりました。子供の時は歌の意味は全然分かりませんでしたが、歌えました。
だから、日本語を勉強するのは、日本文化を勉強できることだけでなく、自分の「前史」も考古できました。
皆さんの日本語の勉強の歴史はどのような話ですか。

6 Comments:
面白いですねぇ、どうしてお祖母さんが日本語の歌などを教えたと思いますか。
私の日本語の勉強の歴史はそんなに面白くないです。高校のころ、柔術を学びはじめたので、すこしだけの日本語が聞いて、気に入ったので、大学では勉強をしはじめました。
ぼくも同じく、祖母に「桃太郎さん」と「春が来た」の歌を教わって、意味も知らずに歌ったのです。
日本語を勉強したら、たくさんの台湾語が日本からの外来語だと分かってきました。例えば、台湾語の「阿莎力(アサリ)」は日本語の「あっさり」。ちょっとびっくりしました。
なるほどねぇ。日本語の考古学とはいい題をつけましたね。呂さんのような意識で学べば、日本語の学習も深まるでしょうね。学ぶ対象が、自分にとってどんな意味があるのかという視点は大切ですよね。
ところで、この写真はご家族の方達でしょうか?
すごい話ですね。国語が何回も変わってしまって、特に呂さんのお祖父さんとお祖母さんにとって大変だったでしょう。
実は、呂さんと比べたら、自分の日本語の勉強の話と人生の話がとてもつまらないです。呂さんにうらやましいです!(^o^;)
その写真は家族の写真ですね。台湾のお正月に家族の団欒の宴会です。家の祖母と母は料理がプロのように上手ですから、全部の料理は祖母と母が作りました。あぁ~食べたい!
祖母は子供の時に日本語の教育を受けて、子供の歌と言えば、やっぱり日本語の歌と思っています。だから、私と兄弟に日本語の歌を教えました。
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