「ワンダフルライフ」 ー 再現って何か
やっと「ワンダフルライフ」を見る機会があって、僕は嬉しいのだ。数年間前にこの映画について聞いて、DVDを買って、見始めたのだが、何故か終えなくて、その時からずっと見なかったのだ。といっても、すごく見たいというような気持ちがあった。実は、僕は過去のことを再現することについてすごく興味があるのだ。何故かというと、十四歳の時に母が亡くなったのだからであるかもしれない。それは何か過去のことを再現して欲しくなったのは当然であろう。
高校の二年生の時に僕はランディーさんが挙げた「私達の町」という脚本を読んだ。多分その脚本がこの興味を強くして、過去の記憶を見ようとしたのだ。子供の頃僕の家族は殆ど毎年クリスマスの朝のことをビデオテープで記録した。そのクリスマスの日から多分だれも見なかった。母が亡くなってから僕はそれを見なかったということははっきり覚えるのだが。見る時には、楽しい日のビデオテープといっても、ものすごく悲しくて、苦しい経験だった。母の声は覚えたようと違って、子供の僕は殆ど悪ガキのようだったと思って、本当にびっくりした。その時の客観的な事実と見た前の時の主体的な記憶は全く違うものだと思う。だから、その時から再現することに対して何かの恐れがあるのだが、まだ強い興味が残るのだ。
「私達の町」の場合では、これは本当に同じような危険があると思うのだが、多分「ワンダフルライフ」でもこの危険がありうると僕は思う。やはり何かの瞬間を再現するよりも、自分の記憶を再現するのはこの問題の答えかもしれない。覚えて伝えられるような記憶だけ再現することだから、その瞬間の間違う点とか覚え間違う点はその再現の映画では残るのだ。でも、僕なら、記憶と事実の違いは恐れがある。なんとか、その作った映画では自分の記憶と違う所は多分あって仕方がないと思う。それにも、事実の瞬間の正しさは何かの問題だと思うのだが、それも仕方がないのだ。

6 Comments:
そうですね。記憶と事実との違いがありそうです。歴史やカルチャー研究の学者たちは記憶が再現できるかどうか論弁があります。しかし、チャリーさんのエントリを読んで、その問題は学理の問題として解決できない。人間の体験の問題です。過去の楽しいことは後で苦しい体験になるかもしれません。
そうですよねぇ。もちろん自分の記憶は事実と違います。だが、「ワンダフルライフ」ではそれは別に問題ではないと思います。再現映画は事実に基づいていないのです。事実の代わりになくなった人の記憶を使って映画を作るのです。事実と違っていいと思います。
客観的と主観的ということ、いいポイントだね。確かに、その違いが恐れがあると私も思う。だが、ライオンズさんのコメントと賛成する。
自分のを聞かせてくれてありがとう。
なるほどねぇ。クリスマスのビデオの中のお母さんと、キャリーさんの心の中で生き続けるお母さんは違うんだね。でも、もしどちらかのお母さんを選ばなければならないとしたら、もちろん、心の中のお母さんだよね。
キャリーさんの言ったことは深いですね。うちの父はホームビデオ派で、自分のこどものころは全部記録されたけど、それをみると、ただ恥ずかしいなと思っている。キャリーさんの記憶や経験を聞かせてくれてありがとうね。
そうですね。やはり過去を再生するとしたら自分が覚えているように自分の視覚からの場面が演出するわけですね。でも追憶というのは自分に対しての一番記憶に残る部分を守ればいいと思います。
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