発表の小さな追録
私は発表の後に、殆どいつも言う必要があることを考えだすのだ。多分発表の場合だけではなくて、質問を答えると、すぐもっと適切な答えを作る。今回はワンさんの質問だったのだ。その質問は「憂國」で何故「至誠」が掛軸に書いてあるかどういう意味を持つかという質問だった。昼食を食べながら、急にいい答えが来た。三島の作品とエッセイでは、言葉の世界と現実の世界の間には距離がある。三島がこの距離がとても大切だと思っていたが、その距離を渡るのは非常に難しいことだ。この「至誠」はなぜか大切なのかという理由は、至誠では、約束又は言葉と活動又は現実の距離を統べ合わせる意味を表すと思う。他の質問に関して、このことが起こらなかったとかもしれない。
この間翻訳の授業の為に三島の「女神」という短編小説を読み始めた。なぜか知らないのだが、二、三ヶ月前から暇な時間で日本語で何かを読んでみる気持ちがなくなった。何かの本か小説を読みたくても、力が入れにくいのような感じがあった。でも、この短編小説を読み始めて、読み続けたいという気持ちが急に浮かんだ。ちょっと思ったより長い小説(160ページぐらい)なので、読み終えないかかもしれない。でも、他の物を読みたいということを起こすと、とてもいいことだと思う。このようなことは非常に面白いと思う。好きな活動でも、しなくなることだ。例えば、Blockbusterで働いていた時には殆ど映画を見なくて、Bordersで働いている間に本をあまり読んでいなかった。でもその時には、映画を見たくて、本を必ず読みたかったのだ。でもそれをする為のフォーカス又は意志が欠けていた。これはいい説明ではないかもしれないのだが、他の人は時々同じような気持ちがあるであろう。

4 Comments:
いいですね、至誠についての考え方。私もそれについて興味がありますが、あまりいい答えがありません。はじめては国に自分自身の至誠を表れたい気持ちと思いましたが、キャリーさんの答えはそれよりいいですね。
嗚呼、なるほど!至誠の答えはいいね。いつか憂國を貸してくれない?この日本版が見たいからだね。
その場ではうまく答えられなかったけど、あとで、いい答えが思い浮かぶということ、私にもよくあります。でも、別にそれでもいいんじゃないでしょうか。答えられなかった問題について、深く考えられるいい機会になるわけですから。
「したいけど、同時にしたくない」という気持ちよくわかります。例えば、若いとき(?)僕は走っているところはとてもいい気分だけど、外はとても寒くて、走る意志もなくしてしまったんです。
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